アドリアーナ

特にサッカーに限定するわけじゃないけど・・・

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ドイツ代表

ドイツ代表


FW:ミロスラフ・クローゼゲラルド・アサモアルーカス・ポドルスキーケビン・クラニー
MF:ミヒャエル・バラックセバスチャン・ダイスラーバスティアン・シュバインシュタイガーベルント・シュナイダートルステン・フリンクス
DF:ロベルト・フートペア・メルテザッカー
GK:イェンス・レーマンオリバー・カーン
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オリバー・カーン




adidas 06 ドイツ GKシャツjp【ネーム・ナンバー代別途】オリバー・カーン(Oliver Kahn)

生年月日     1969年6月15日
国籍       ドイツ
身長・体重    188cm・91kg
ポジション    GK
所属      カールスルーエSC(ドイツ)~FCバイエルン・ミュンヘン (ドイツ)



ドイツが世界に誇る世界最高のGK。燃え滾るその闘争心でチームを鼓舞し続け、支え続ける。シュートへの反応、状況判断、キャッチング・パンチング技術、守備範囲の広さ、どれをとっても世界最高水準。バイエルンのGKコーチ曰く「オリーの才能は多くもなく少なくもない」と言っており、才能だけでなく弛まぬ努力と鍛錬において世界最高の技術を手にしたのだ。


87年に地元のクラブ・カールスールエSCに入団するが、そのときは体格不良で悉く他のクラブチームの入団試験に落ちていたそうだ。90/91シーズンにレギュラーポジションを獲得するとクラブでの活躍が認められ、94年にバイエルン・ミュンヘンに引き抜かれ、95/96シーズンにUEFAカップ優勝を果たす。00/01シーズンにCLに優勝し、自らもスーパープレーを連発。02年ワールドカップではGKとして初めて大会MVPに輝くなど、キャリアのなかで最高の時を過ごす。


しかし、EURO2004後に就任したクリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、母国開催のW杯に向け長年のライバル、レーマン(アーセナル)と正GKの座を激しく争ってきた。その間レーマンは好調をキープし、逆にカーンは信じられないようなミスを連発し、コンディションを崩してしまう。そして06年4月7日、クリンスマン監督から正式に「レーマンが正GKである」と発表され正GKの座を失ってしまい今後の去就が注目されている。


02年のW杯では対アイルランド戦で1失点し引き分けてしまった試合で、試合後DF陣に3時間説教したことがあったり、同僚のプレーヤーに「この世で怖いものは戦争とオリバー・カーン」と言われたことがある。


バイエルン・ミュンヘン(H) 05/06 GK長袖
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イェンス・レーマン




NIKE 04/05 アーセナルホーム GKシャツimpイェンス・レーマン(Jens Gerhard Lehmann)

生年月日     1969年11月10日
国籍       ドイツ
身長・体重    190cm・87kg
ポジション    GK
所属      シャルケ04(ドイツ)~ACミラン(イタリア)~ボルシア・ドルトムント(ドイツ)~アーセナル(イングランド)



キャッチングに若干の不安を残すものの、フットワークの良さと的確なポジショニングでシュートコースを消し、抜群の反射神経を駆使してどんなシュートも止めてしまう。足下のテクニックやキックの精度にも優れ、カウンターの基点となることもしばしばである。カッとなりやすい性格であるが熱い人間でもありその勇気あるセーブでファンを魅了している。


88/89シーズンに当時2部リーグだったシャルケ04にてプロデビューを果たす。その後91/92シーズンにはチームの一部昇格に大きく貢献し、97/98シーズンのUEFAカップでは決勝でのPK戦を制するなど優勝の原動力となった。
その活躍もあり98年にはイタリアのミランへと移籍するが、セバスチアーノ・ロッシとのポジション争いに敗れ半年でドイツに帰国。シャルケの宿敵であるドルトムントに移籍し大きな波紋をよんだ。しかし正GKとして結果を残し、03年にアーセナルに移籍。デイビッド・シーマンの後任として03/04シーズンの無敗優勝に貢献し、現在までアーセナルの守護神として君臨している。


ドイツ代表としては98年のオマーン戦でデビューを果たし、今まで第2GKとして常時出場機会が与えられているわけではなかったが常に召集される存在となった。06年W杯ではオリバー・カーンとの正GKをの座を賭けた激しい争いの末についに正GKの地位を奪取することができた。

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ペア・メルテザッカー




02/03-ハノ-バー96/アウェイ/半袖ペア・メルテザッカー(Per Mertesacker)

生年月日     1984年9月29日
国籍       ドイツ
身長・体重    196cm・85kg
ポジション    DF(CB)
所属      TSVパッテンセン(ドイツ)~ハノーファー96(ドイツ)



他を圧倒する長身を活かした空中戦ではまず負けることはありえない。もちろんセットプレー時にもその長身は強力な武器になり、相手の脅威となっている。カードをもらうことがほとんどないそのクリーンでタイトな守備力も魅力である。若返りを図るドイツDF陣においてその中心的存在となりうる逸材。


ペア・メルテザッカーはハノーバーユース出身の生え抜き選手で、ユースでしっかり力をつけて03年に弱冠19歳でブンデスリーガデビューを果たした。翌年にはレギュラーのDFが負傷により戦線離脱したことにより巡ってきたチャンスをメルテザッカーは逃さず、レギュラーを奪い取る活躍を見せた。


04年9月にはドイツ代表に抜擢。05年のコンフェデ杯では全ての試合に出場し、オーストラリア戦では代表初ゴールを記録するなど、06年W杯ドイツ代表のCB候補に挙げられるまで上り詰めた。


ドイツには兵役があり、メルテザッカーはその兵役年齢を迎えているが、兵役に代わって障害を持つ子供のヘルパーをやっている。
ハノ-バー96/(A) 02/03 半袖
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ロベルト・フート




チェルシー 05 ホーム 半袖 ユニフォームロベルト・フート( Robert Huth)

生年月日     1984年8月18日
国籍       ドイツ
身長・体重    188cm・80kg
ニックネーム   ベルリンの壁
ポジション    DF(CB)
所属      1.FCウニオン・ベルリン(ドイツ)~チェルシー(イングランド)



強靭なフィジカルを活かしたプレーが特徴で、ヘディングにもめっぽう強い。DF不足のドイツ代表においてこの若きCBが救世主となれるかどうかがドイツ代表の命運を握っている。


ベルリン出身のロベルト・フートは、地元のクラブウニオン・ベルリンでプレーをしていたが、名門チェルシーのスカウトの目に留まり、00年弱冠15歳にしてイングランドへと渡った。02年には17歳ながら、プレミアリーグデビューを果たし、アブラモビッチ会長がかき集めた並みいるスター選手軍団の中で03/04シーズンは16試合、04/05 シーズンは10試合に出場している。


ドイツ代表としても、飛び級でU-21代表に入り、04年欧州選手権に出場すると、その直後には負傷して辞退した選手の追加招集として一気にドイツ代表へと召集をされた。デビュー2戦目となったブラジルとの親善試合ではブラジル代表アドリアーノを完全に封じ込め、高評価を得た。しかし、翌年のコンフェデ杯準決勝でのブラジル戦ではアドリアーノにいいようにやられ、世代交代にしてもフートではまだ若すぎるのでは?という論議を巻き起こした。


チェルシー(H) 05 半袖マーキング入りはこっち
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トルステン・フリンクス




ブレーメン '05-'06オフィシャルマーキングホーム半袖ユニフォームトルステン・フリンクス(Torsten Frings)

生年月日     1976年11月22日
国籍       ドイツ
身長・体重    182cm・80kg
ポジション    MF(CH,RSH,LSH)
所属      ロートバイス・アルスドルフ(ドイツ)~レーナニア・アルスドルフ(ドイツ)~アレマニア・アーヘン(ドイツ)~ベルダー・ブレーメン(ドイツ)~ボルシア・ドルトムント(ドイツ)~バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)~ベルダー・ブレーメン(ドイツ)



中盤ならば中央から左右両サイドに至るまでそつなくプレーすることができる。スピード、正確なパス、ドリブルなど己の力を存分に出しながらチームのバランスを考えてプレーもできる、まさに中盤の歯車である。


3部リーグのTSVアレマニア・アーヘンでプロデビューを果たした後、1996年にベルダー・ブレーメンに引き抜かれる。早速96/97シーズンでチーム内での信頼を勝ち取り、99年にはドイツ・カップ決勝で、バイエルン・ミュンヘンを倒しての栄冠を手にした。クラブでの活躍が認められ、02年のW杯のメンバーにも選出。本大会ではルディ・フェラー監督の信頼を勝ち取り7試合全てにフル出場、ドイツの準優勝に多大な貢献をした。


その後、ボルシア・ドルトムントを経て04/05シーズンにバイエルン・ミュンヘンへと移籍。そこで国内2冠を達成するが、フェリックス・マガト監督に本来と異なるポジションで起用されるなど、十分に満足できるシーズンではなく、05年にブレーメンに復帰。05/06シーズンのCLではFCバーゼル1893を下して、グループリーグ進出に貢献した。


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ベルント・シュナイダー




レバークーゼン04-06ホーム半袖ユニフォームベルント・シュナイダー(Bernd Schneider)

生年月日     1973年11月17日
国籍       ドイツ
身長・体重    176cm・74kg
ポジション    MF(RSH,OH)
所属      カールツァイス・イエナ(ドイツ)~アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)~バイヤー・レバークーゼン(ドイツ)



俊足を活かした鋭いサイドの突破から右足のキックで正確無比なクロスボールを供給する。闘争心旺盛で抜群の勝負強さを誇る。


カールザイツ・イエナにて頭角を現し、98/99シーズンにはフランクフルトへ移籍し、ここでも主力として活躍。1999年にレバークーゼンへと加入し、このシーズンに32試合に出場、3得点を挙げここでもレギュラーに定着し、現在ではレバークーゼンの核の選手として活躍中である。


代表としては99年に5試合に出場するが、00年欧州選手権ではメンバーから漏れ、その後しばらくの間は代表から遠ざかった。しかしこの後ドイツ代表は低迷し、02年W杯予選でイングランドに1-5の大敗、最終節のフィンランド戦では痛恨のドローでプレーオフにまでもつれてしまう。この危機を救ったのがシュナイダーであった。プレーオフの第2戦、ドイツ代表がウクライナ代表をドルトムントに迎えうった試合ではシュナイダーが3得点に絡む活躍を見せ、見事ドイツをW杯へと導き、その後のW杯では前評判が低い中で全試合に出場し母国を決勝まで導いた。


レバークーゼン(H) 04/06 半袖
adidasクラブチームボストン・レバークーゼン
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バスティアン・シュバインシュタイガー




05/06バイエルンミュンヘン/ホーム/半袖/シュバインシュタイガー/アディダスジャパンバスティアン・シュバインシュタイガー(Bastian Schweinsteiger)

生年月日     1984年8月1日
国籍       ドイツ
身長・体重    181cm・77kg
ポジション    MF(OH,LSH,RSH)
ニックネーム   シュバイニー
所属      FVオベラウドルフ(ドイツ)~TSV1860ローゼンハイム(ドイツ)~バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)



類稀れな視野の広さと戦術眼を誇り、足下のテクニックにも優れ、鋭いドリブルで状況を打破することもできる。将来のドイツ代表を間違いなく担う存在へとなるだろう。コンディションが安定せず波が激しいのが課題か。


98年にバイエルン・ミュンヘンの下部組織に入団。02年にリザーブリーグでデビューを果たすと、そのシーズン中にトップ昇格。デビュー戦でアシストを記録するなど活躍し、そのままバイエルンの主力として定着をしていった。


代表としては、U-19ドイツ代表でU-19欧州選手権で決勝進出の原動力となり、その後U-21代表で04年の欧州選手権を戦った直後にA代表の欧州選手権メンバーに抜擢された。現在若返りを図るドイツ代表において中心メンバーとなりつつあり、これからの活躍が期待される。


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セバスチャン・ダイスラー




05/06バイエルンミュンヘン/ホーム/半袖/ダイスラー/アディダスジャパンセバスチャン・ダイスラー(Sebastian Deisler)

生年月日     1980年1月5日
国籍       ドイツ
身長・体重    182cm・78kg
ポジション    MF(OH,RSH)
ニックネーム   バスティ
所属      VfLボルシア・メンヘングラッドバッハ(ドイツ)~ヘルタ・ベルリン(ドイツ)~バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)



ドイツサッカー界の救世主とまで言われた天才MF。高い技術に裏打ちされた瞬間的な閃きで多くのチャンスを作り出す。攻撃
に必要とされる能力を全て持ち、OHからSH、更にはWGまでこなしてしまう。FKも得意でありその精度はベッカムと比較されるほどである。


95年にVfLボルシア・メンヘングラッドバッハでキャリアをスタートし、99年に移籍したヘルタ・ベルリンで一気に才能が花開く。00年には弱冠20歳でドイツ代表にデビューし、ドイツ代表が3戦全敗を喫した00年欧州選手権ですらダイスラーは光り輝き高い評価を受けた。
しかし、更なる活躍が期待された01年に靭帯断裂の大怪我を負ってしまい02年W杯を出場できなかった。02年に移籍したバイエルン・ミュンヘンで懸命のリハビリを行い、代表でも05年のFIFAコフェデレーションズカップで代表に復帰するなど06年W杯に向けて復調している。


その才能の素晴らしさは、プロになってから初めて指導したフリーデル・ラウシュ監督が、「(フリッツ・)ワルター、(ウーベ・)ゼーラー、(フランツ・)ベッケンバウアーと同等の選手になるだろう」と話すほどである。


ちなみにヘルタ・ベルリン時代の3年間で16回もの怪我をしている。

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ミヒャエル・バラック




05/06バイエルンミュンヘン/ホーム/半袖/バラック/アディダスジャパンミヒャエル・バラック(Michael Ballack)

生年月日     1976年9月26日
国籍       ドイツ
身長・体重    189cm・80kg
ポジション    MF(CH,OH,LSH)
ニックネーム   バラ,小皇帝
所属      SCヴィスムート・カール・マルクス・シュタット(ドイツ)~ケムニッツFC(ドイツ)~カイザースラウテルン(ドイツ)~バイヤー・レバークーゼン(ドイツ)~バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)


ウイングからボランチ、時にはOHまでこなすユーティリティ性を持ち、巧みなボールさばきでゲームを支配する。高い身長を活かし空中戦にも強く、得点能力もある。皇帝ベッケンバウアーの再来とまで言われ、シュテファン・エッフェンベルクから自身の後継者に指名されるドイツ代表の核。


7歳の頃からサッカーを始め、幼い頃からその才能は高く評価されていた。97/98シーズンには当時2部にいたカイザー・サラウテルンを1部復帰させ、その翌シーズンにはリーグ優勝を達成する前代未聞の偉業に大きく貢献する。99年にはレバークーゼンに移籍し、CL・リーグ・カップでそれぞれ準優勝に導き、チームを強豪へと押し上げていった。02/03シーズンからはバイエルン・ミュンヘンの一員として、リーグ優勝、カップ優勝の2冠に貢献し、2年連続でドイツ最優秀選手賞を受賞している。


代表には99年のスコットランド戦でデビューし、不動のポジションを確立、02年W杯では素晴らしいプレーで母国を決勝にまで導いた。決勝は累積警告で出れずチームも敗れてしまったものの、前評判が高くなかった代表を決勝まで導いた才能は更にその評価を上げた。06年時刻開催のW杯ではドイツの主将として世界中の注目を浴びている。


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ケビン・クラニー




シャルケ04 04-06ホーム半袖ユニフォームケビン・クラニー(Kevin Kuranyi)

生年月日     1982年3月2日
国籍       ドイツ
身長・体重    188cm・78kg
ポジション    FW(CF)
所属      VfBシュツットガルト(ドイツ)~シャルケ04(ドイツ)



上背を活かした空中戦はもちろんなこと、敏感にゴールの匂いを嗅ぎつけ、南米仕込みの柔らかなテクニックとしなやかな身のこなしで得点を量産していく。アシスト能力も高く、今までのドイツにはいなかったタイプのFWである。


ブラジルのリオデジャネイロで生まれたケビン・クラニーは、他のブラジルの子供達と同じようにサッカーに興じていた。セラーノFCやパナマのスポルティング・パナマなどでプレーを磨き、その後ドイツへ渡ると名門シュツットガルトへ入団、各年代のドイツユース代表にも選ばれるなど当時から高いポテンシャルを見せる。02/03シーズンにはクラブでも活躍を見せ、15得点9アシストでクラブを03/04シーズンのCL出場権獲得に貢献をした。


父親がドイツ国籍、母親がパナマ国籍、そして生まれのブラジル国籍を持ちどの国の代表となる事も可能であったが、ドイツ代表を選び、03年のリトアニア戦でデビューをした。


シャルケ04 04-06ホーム半袖ユニフォーム
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ルーカス・ポドルスキー




1FCケルンルーカス・ポドルスキー(Lukas Podolski)

生年月日     1985年6月4日
国籍       ドイツ
身長・体重    180cm・80kg
ポジション    FW(CF)
愛称       王子様
所属      1.FCケルン(ドイツ)



皇帝ベッケンバウアーが「代表に絶対欠かせないストライカー」と太鼓判を押す選手。スピード溢れる突破から放たれる左足のシュートは破壊力抜群。まだ若いが1.FCケルンのエースであり、代表でももはやエース格と言って過言ではない。


ポーランドのグライヴィッツ出身のポーランド系移民。6歳の時に07ベルグハイムでサッカーをはじめ、10歳の時に1.FCケルンのユースに入団。彼に訪れた転機は03/04シーズン。シーズン終盤にまだアマチュアチームで2試合しか出場経験のなかった彼が、降格危機に晒されていたクラブの救世主として突然トップチームに呼ばれたのだ。結果的に降格してしまったものの19試合で10ゴールという活躍を見せ、翌シーズンの2部リーグでは3度のハットトリック(1つは4得点)を含む通算24得点で得点王を獲得し格の違いを見せつけチームを再び1部へと導いた。


代表としては、ガーナ代表への熱心な誘いを受けていたが、ドイツ代表への想いから頑なに断り続け、01年念願のドイツ代表へと召集された。その後02年W杯にも出場しドイツの快進撃の一翼を担った。ちなみに東西統合後ドイツ代表初となる黒人選手である。


代表としては04年にまだ当時19歳ながら抜擢された。その後05年コンフェデ杯でブレイクをし、現在まで通算14試合6得点。


あまりに早いブレイクだったために、運転免許がなく路面電車で練習に通う日々である。契約の更新も追いつかず、いまだに年棒は3万ユーロ(約420万円)で、高卒Jリーガーと変わらない額。


1.FCケルン(H)
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ゲラルド・アサモア




シャルケ04 04-06ホーム半袖ユニフォームゲラルド・アサモア(Gerald Asamoah)

生年月日     1978年10月3日
国籍       ドイツ
身長・体重    180cm・85kg
ポジション    FW(RWG)
ニックネーム    ブロンディー
所属      ベルダー・ハノーバー(ドイツ)~ハノーバー96(ドイツ)~シャルケ04(ドイツ)



足元の技術ではやや物足りないものの、圧倒的なパワーとスピードを相手を蹴散らしサイドをぶち抜いていくドイツ屈指のウインガー。ドイツでは珍しいウインガータイプの選手として代表でも重宝されている。


アフリカのガーナに生まれ12歳の時にドイツのハノーバーへと移住し、地元のベルダー・ハノーバーへと入団する。その後ハノーバー96へと行き、クラブの2部昇格などに貢献する活躍を見せ、99年にブンデスリーガ・シャルケ04へ引き抜かれる。
当初はFWとして活躍をしていたが、ムペンザの加入により右ウイングとしてプレーするようになり、国内カップ戦でチームを29年ぶりの優勝に導くなどチームの核として活躍している。


代表としては、ガーナ代表への熱心な誘いを受けていたが、ドイツ代表への想いから頑なに断り続け、01年念願のドイツ代表へと召集された。その後02年W杯にも出場しドイツの快進撃の一翼を担った。ちなみに東西統合後ドイツ代表初となる黒人選手である。


98年に心臓隔膜硬化症という重病を患い選手生命の危機に陥ったが、サッカーへの情熱をもってして奇跡的に回復し現在でも活躍を続けている。


シャルケ04(H) 04/06 半袖
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ミロスラフ・クローゼ




ブレーメン '05-'06オフィシャルマーキングサード半袖ユニフォームミロスラフ・クローゼ(Miroslav Klose)

生年月日     1978年6月9日
国籍       ドイツ
身長・体重    182cm・81kg
ポジション    FW(CF)
所属      カイザースラウテルン(ドイツ)~ヴェルダー・ブレーメン(ドイツ)



抜群の跳躍力を生かした打点の高いヘディングが最大の武器。左右どちらからもシュートが撃て、スピードまで兼ね備えている万能型FW。


9歳までポーランドで過ごしており、その後両親と共にドイツへ移住。バラウバッハ・ディーディルコップのユースに入団。少年時代は目立った存在ではなく、本人も「失敗ばかりだった」と振り返っている。その後FCハンブルグを経て99年にカイザースラウテルンヘ入団すると早速その得点能力を見せつけ、21歳でブンデスリーガデビュー。ブンデスリーガでも臆することなく得点を積み重ね続け、01年3月のアルバニア戦で代表デビュー。初スタメン入りした02年イスラエル戦ではハットトリックを達成し、その後のオーストリア戦でもハットトリックを成し遂げ一躍ドイツの救世主へと登り詰めた。02年ワールドカップの代表メンバーにも選ばれ、初戦のサウジアラビア戦でもハットトリックを達成。7試合5得点の活躍でその名を世界へと知らしめた。


04/05年シーズンからはブレーメンでプレーしており、クロアチア代表のイヴァン・クラスニッチと組む2トップは破壊力抜群である。


父は同時フランス2部だったオセールの元選手で、母はポーランドのベストプレーヤーに2度も選ばれたこともある有名なハンドボールの選手だった。


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アルゼンチン代表

アルゼンチン代表

FW:リオネル・メッシカルロス・テベスエルナン・クレスポハビエル・サビオラ
MF:パブロ・アイマールファン・ロマン・リケルメファン・パブロ・ソリンエステバン・カンビアッソフアン・セバスティアン・ベロンキリ・ゴンザレス
DF:ハビエル・サネッティワルテル・サムエルファブリシオ・コロッチーニロベルト・アジャラ
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ロベルト・アジャラ




バレンシア(H)05ロベルト・ファビアン・アジャラ(Roberto Fabián Ayala)

生年月日     1973年4月12日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    177cm・76kg
ポジション    DF(CB)
所属      フェロカリル・オエステ(アルゼンチン)~リーベル・プレート(アルゼンチン)~ナポリ(イタリア)~ACミラン(イタリア)~バレンシア(スペイン)



屈強なその体で1対1の競り合い、空中戦には絶対の自信を見せる。スピードを生かしたカバー能力、パスカット能力にも非凡なものがあり、堅守を誇るバレンシアとアルゼンチン代表の守備の要。


91年にフェロカリルでトップデビューし、その後リーベルを経てパルマへ加入をするが、プレーすることなくナポリへ移籍した。98年にはミランへと移籍を果たすがレギュラーポジションを奪うには至らずに、00年に活躍の場をスペインに移す。堅守を誇るバレンシアに更なる安定感を与えCL準優勝の立役者となると共に、自身も00/01シーズンのCL最優秀DFに選ばれた。


代表としては、 98年ワールドカップでアルゼンチンDF陣の中心として全試合にフル出場、ベスト8進出に大きく貢献するが、02年ワールドカップでは、主力メンバーに選出されながら第1戦キックオフ前に負傷してしまい1試合の出場もならなかった。


バレンシア(H) 05 半袖
アルゼンチン(H) 06 半袖マーキング入りはこっち
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ファブリシオ・コロッチーニ




Joma 04/05 デポルティーボホーム 半袖 ゲームシャツファブリシオ・コロッチーニ(Fabricio Coloccini)

生年月日     1982年1月22日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    183cm・78kg
ポジション    DF(CB,SB),MF(CH)
所属      アルヘンティノス・ジュニオールズ(アルゼンチン)~ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)~ACミラン(イタリア)~サン・ロレンソ(アルゼンチン)~アラベス(スペイン)~アトレティコ・マドリード(スペイン)~ビジャレアル(スペイン)~ACミラン(イタリア)~デポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン)



空中戦にもめっぽう強く、その若さからは考えられない冷静で的確な判断力で相手のチャンスの芽を潰す。その空中戦の強さを生かした得点能力も持ち味である。CBだけではなくSBやピボーテとしてもプレーできるユーティリティ性も持ち合わしている。


アルヘンティノス・ジュニオールでキャリアをスタートさせ、98年に名門ボカに移籍。そのボカでの活躍が認められて00年にACミランへと移籍を果たすものの、ミランでは出場機会に恵まれず、レンタルで母国のサンロレンソに移籍。後期リーグ優勝を果たすと、翌シーズンにはスペインに渡りアラベス、アトレティコ・マドリード、ビジャレアルと次々にレンタルで移籍を繰り返し、04/05シーズンにACミランへ復帰後、そのシーズン途中にデポルティボ・ラ・コルーニャに念願の完全移籍を果たすことができた。


代表としては、01年に母国で開催されたワールドユースにてキャプテンとしてチームを牽引、母国を優勝へと導き、得点王を獲得したサビオラと同等の評価を得た。その後03年にA代表デビューを果たし、04年アテネ五輪では全試合に出場し母国に金メダルをもたらした。


父親のオスバルドは80年代コルドバやサンロレンソで活躍したセンターバックである。


デポルティーボ(A) 04/05 半袖
アルゼンチン(H) 06 半袖マーキング入りはこっち
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ワルテル・サムエル




インテル 05 ホーム 半袖 ユニフォームワルテル・アドリアン・サムエル(Walter Adrian Samuel)

生年月日     1978年3月23日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    182cm・83kg
ポジション    DF(CB)
ニックネーム   ザ・ウォール(壁)
所属      ニューウェルズ・オールド・ボーイズ(アルゼンチン)~ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)~ニューウェルズ・オールド・ボーイズ(アルゼンチン)~ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)~ローマ(イタリア)~レアル・マドリード(スペイン)~インテル(イタリア)



どんな状況下でも冷静に対応し、豊富な経験に裏打ちされた守備は正に壁である。強靭なフィジカルを誇り、ボールさばきも巧みで、空中戦の強さは守備だけでなく攻撃においても威力を発揮する。現アルゼンチン代表のデェフェンスリーダー。


96年にニュエルス・オールド・ボーイズでトップデビュー。97年のワールドユースで優勝し、その活躍が認められボカに移籍。ボカに移籍当初は試合に出場できなかったものの、ニュエルスに戻り98年に再びボカに移籍した後にレギュラーに定着。98年前期リーグ、99年の後期リーグの優勝に貢献。00年のリベルタドーレス杯で優勝しチームはトヨタカップに出場したが、彼はイタリアに移籍していたため出場できなかった。しかし、ローマでも彼は能力を如何なく発揮し01年のスクデット獲得に多大な貢献をしたのである。
その後守備の再建をはかるレアル・マドリーに引き抜かれるが思うような活躍ができずに、05年フィーゴと共にインテルへと移籍をした。


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ハビエル・サネッティ




05/06インテル/ホーム/長袖/サネッティ/ナイキジャパンハビエル・サネッティ(Javier Zanetti)

生年月日     1973年8月10日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    178cm・75kg
ポジション    DF(RSB),MF(RSH)
ニックネーム   プピ,トラクター
所属      タジェレス(アルゼンチン)~バンフィールド(アルゼンチン)~インテル(イタリア)



素晴らしいテクニックと戦術眼を備えており、本職の右サイドだけでなく中盤ならば左サイドや中央に至るまでこなすことができるというユーティリティ性も持ち合わせている世界最高峰のRSB。
ファウルを犯すことなく華麗にボールを奪えば、タッチライン沿いでドリブルを始められると誰にも止められない。スペースに飛び込むタイミング、切れ味鋭いシュートと攻撃力も素晴らしいものでRSHとしても世界最高峰を誇っている。


キャプテンシー、練習に対する熱心さ、チームへの愛情と献身的な姿勢、闘志溢れるプレーと常に模範とされている選手。


92年タジェレスでキャリアをスタートさせると、翌年バンフィールドに移籍。ここでの活躍が脱マラドーナをはかるパサレラの目に留まり、ほとんど無名ながらA代表に呼ばれ、そのまま定着。95年にはインテルへと移籍をし、通算で450試合を超える出場で今なおインテルを支えている。


インテルのサポーターには、『イル・トラットーレ(トラクター)』という愛称で親しまれている。


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キリ・ゴンザレス




03/04-インテル/ホーム/半袖/キリゴンザレスクリスチャン・アルベルト・ゴンサレス・ペレト(Cristian Alberto Gonzalez Peret)

生年月日     1974年8月4日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    175cm・71kg
ポジション    MF(LSH),FW(WG)
ニックネーム   キリ
所属      ロサリオ・セントラル(アルゼンチン)~ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)~サラゴサ(スペイン)~バレンシア(スペイン)~インテル(イタリア)



強靭な体と疲れ知らずの運動量で攻守に渡って支える左サイドのスペシャリスト。守備力も十分あるが、スピードとテクニックが存分に発揮される攻撃時のその破壊力は凄まじい存在感である。世界でも有数のWGであり、クラブ、代表でも欠かすことのできない存在。


ロサリオ・セントラルでプロデビューを果たし、当時ベロンらもいたボカへ移籍すると、96年にスペインのレアル・サラゴサへと引き抜かれる。特別知名度があっての鳴り物入りでの移籍というわけではなかったが、すぐさまチームの主力となり、その後バレンシアへと移籍。この移籍がキリの名前を爆発的に世界に知られるきっかけとなる。クーペル監督のもとで、99/00、00/01シーズンでCLのファイナリストとなり、01/02シーズンにはリーグ制覇を成し遂げたのだ。03年にクーペル監督がインテルの監督となると後を追うようにインテルに移籍している。


95年のボカ・ジュニアーズへはディエゴ・マラドーナから誘いを受けて移籍した。


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フアン・セバスティアン・ベロン




ヴェロン(ベロン) 14・インテル 04 ホーム 半袖 マーキングユニフォームフアン・セバスティアン・ベロン(Juan Sebastián Verón)

生年月日    1975年3月9日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    186cm・79kg
ポジション    MF(CH,OH)
ニックネーム   セバ,ブルヒータ(小さな魔法使い)
所属      エストゥディアンテス・ラ・プラタ(アルゼンチン)~ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)~サンプドリア(イタリア)~パルマ(イタリア)~ラツィオ(イタリア)~マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)~チェルシー(イングランド)~インテル(イタリア)


魔法使い


トレードマークにもなっているスキンヘッドを光らせてピッチ上でゲームを支配する世界最高レベルのゲームメーカー。
彼にパスの距離は関係なく、どんな距離にいる仲間に対してもピンポイントにパスを送ることができる。持っているキックの種類も多様で、フリーキックにミドルシュートにダイレクトプレイにトリッキーなパスなどまさにピッチ上の魔法使いである。


彼の父ラモンもかつてアルゼンチン代表の名プレイヤーで、彼同様テクニックに優れる選手であり、サポーターからブルッハ(魔法使い)のニックネームで親しまれていた。その才能を引き継いでいる息子の彼もそれにちなんでブルヒータ(小さな魔法使い)と呼ばれている。ちなみに応援歌も父と同じである。


94年に父も在籍していたエストゥディアンテスでキャリアをスタートさせる。95年には早くもレギュラーに抜擢され、96年にはボカに引き抜かれ、ボカに移籍してわずか17試合でサンプドリアに引き抜かれた。ヨーロッパに渡ってもベロンは活躍を続け、98年にはパルマに移籍し、パルマにUEFAカップの優勝をもたらすと、99年にはラツィオでスクデットを獲得、01年にはイングランドに渡りマンチェスターU、チェルシーを渡り歩き、04年に再びセリエAへと戦いの場を移している。


04年にはペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人に選出された。


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エステバン・カンビアッソ




NIKE 04 インテルホーム 半袖ゲームシャツjpエステバン・マティアス・カンビアッソ・デレアウ(Esteban Matias Cambiasso Deleau)

生年月日    1980年8月18日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    177cm・78kg
ポジション    MF(CH,OH)
所属      アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)~レアル・マドリー(スペイン)~インデペンディエンテ(アルゼンチン)~リーベルプレート(アルゼンチン)~レアル・マドリー(スペイン)~インテル(イタリア)


中盤のゲームメーカー

華麗なテクニックに相手との駆け引きの巧さ、フィジカルを備えたピボーテ。高い守備力も誇り、守備的MFから攻撃的MFまでこなすことができるユーティリティ性も兼ね備えている。そのプレースタイルから「レドンド2世」とまで称されており、今後のアルゼンチンの核となりうる逸材。


アルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織でプレーし、14歳にしてU-17代表に抜擢されるなどその才能は若くから注目を集めていた。96年には兄弟と共にレアル・マドリーに引き抜かれ、リザーブリーグで2シーズン過ごす。その後98年から4年間母国のクラブへとレンタルされ活躍すると、02年には遂にレアル・マドリーのトップチームに昇格、目覚しい活躍でファンを魅了しリーグ優勝に貢献して見せた。
しかし、03/04シーズンには、ディビット・ベッカムの加入、自身のパフォーマンスも低下したこともあり控えに甘んじてしまう。04年の契約終了とともにスペインを離れ、イタリアへと渡った。当初はタレント豊富なインテルMF陣で控えにまわるだろうと思われていたが、すぐさまレギュラーを奪取。すばらしい活躍を見せている。



ちなみに、幼年期はバスケットボールに夢中な少年だったそうだ。


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ファン・パブロ・ソリン




PUMA 05/06 ビジャレアルホームユニフォームimpファン・パブロ・ソリン(Juan Pablo Sorín)

生年月日    1976年5月5日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    173cm・65kg
ポジション    MF(LSH),DF(LSB)
所属      アルヘンチノス・ジュニアース(アルゼンチン)~ユヴェントス(イタリア)~リバープレート(アルゼンチン)~クルゼイロ(ブラジル)~ラツィオ(イタリア)~バルセロナ(スペイン)~クルゼイロ(ブラジル)~パリ・サンジェルマン(フランス)~ビジャレアル(スペイン)



底なしのスタミナを武器に汗かき役に徹し、自陣ゴール付近でデェフェンスをしたかと思えば次の瞬間には相手ゴール付近でチャンスメイクで存在感を示している。得点感覚にも優れており、内に切れ込んでもシュートはキレ、威力ともに一級品である。


アルゼンチン代表としてすべての世代で国際舞台を経験しており、中でもキャプテンを務めた95年ワールドユースでは見事優勝している。
この活躍でユベントスへの移籍を果たすが、出場機会を与えられず、アルゼンチンへと帰国。その後、リーベル・プレートで前期後期合わせて5度のリーグ優勝に貢献し、ブラジルの名門クルゼイロへの移籍を経て、ラツィオへ移籍し再び欧州挑戦をする。ところがシーズン途中で低迷するバルセロナへ呼ばれ移籍するも、救世主になることはできずに解雇。古巣のクルゼイロへと舞い戻る。そこですぐにパリ・サンジェルマンへレンタル移籍し3度目の欧州挑戦をするものの、レンタル期間を終えると今度はビジャレアルと4年契約を結び、現在へと至っている。


ちなみに、子供の頃に両親から赤いサッカーボールをクリスマスに贈られたことがきっかけでサッカーを始めたそうだ。


ビジャレアル(H) 05/06 半袖
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ファン・ロマン・リケルメ




PUMA 05/06 ビジャレアルホーム長袖ユニフォーム【選手用】+オフィシャルマーキングファン・ロマン・リケルメ(Juan Román Riquelme)

生年月日    1978年6月24日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    182cm・79kg
ポジション    MF(OH)
ニックネーム   ロミー
所属      ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)~バルセロナ(スペイン)~ビジャレアル(スペイン)


驚異的なボールキープ力を誇り、中盤で確実に溜めを作り、スキができた瞬間に矢のようなスルーパスを放ち相手を奈落の底へと落とす。10秒以上キープすることはザラであり、スピードあるアルゼンチン代表で定位置を確保できていない要因にもなっている。だが、自らが「王様」になれるチームではこれ以上の選手はおそらく存在しないだろう。


アルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織で当初は守備的MFというポジションでキャリアをスタートさせた。その後ボカに引き抜かれ、ポジションを現在のトップ下へと移すと、ボカの10番を背負い00年、01年とリベルタドーレス杯を連覇、00年にはトヨタカップで優勝し、01年には南米年間最優秀選手に選ばれるなど、一気にリケルメの名前は世界へと知れ渡った。


02年には、鳴り物入りでバルセロナに移籍。しかし、ここでは環境やサッカースタイルの違いで全く輝きを放つことができずに、03年にビジャレアルへとレンタル移籍し復活を遂げる。ここでリケルメは再び「王様」の地位に君臨し、クラブ史上初となるUEFAカップ出場に引き続きCLでベスト4に食い込む大飛躍をやってのけたのである。


リケルメは家でも10人兄弟の長男として君臨している。


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パブロ・アイマール




アイマール 21番 (バレンシア 05 ホーム 半袖 マーキングユニフォーム)パブロ・アイマール(Pablo Cesar Aimar)

生年月日    1979年11月3日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    170cm・62kg
ポジション    MF(OH)
ニックネーム   パジャーソ
所属      リーベル(アルゼンチン)~バレンシア(スペイン)



「パジャーソ」とは「ピエロ」という意味だが、観客を飽きさせないファンタジーに満ちたプレイは正に「パジャーソ」である。彼が繰り出すパスには天才的な閃きに溢れており、彼が繰り出すドリブルは相手を惑わすスピードとテクニックに溢れている。左右どちらからも放たれるシュートはバリエーションに富んでおり、ひとたび彼がボールを持つと観客はもう彼の虜となってしまう。かのディエゴ・マラドーナもが天才だと認め、「今唯一お金を払ってプレーを見たい選手だ」と言うほど創造性に満ちている。


97年に名門リーベル・プレートでデビューすると、早くから才能を高く評価され、99/00シーズンにはチームをリーグ優勝へと導く。01年に約25億円の移籍金でバレンシアに移籍すると、早速01/02年シーズンのリーグ優勝に貢献した。その後クラウディオ・ラニエリ監督時代に不遇を味わうが、成績不振で解任されると本来の輝きを取り戻し、現在でもチームの中心としてまばゆいばかりの光を放っている。


ちなみに、リーベル・プレートというクラブはアルゼンチンでサッカーをやる少年ならば誰もが憧れを抱くクラブであるのだが、彼はそのクラブからスカウトされた際に家を離れるのが嫌で最初その話を断っていた。


意外と知られていないが、新潟の台風災害の時に義援金を出した。


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ハビエル・サビオラ




Joma 05/06 セビージャUEFA用ユニフォームimp“サビオラ”オフィシャルマーキングハビエル・ペドロ・サビオラ(Javier Pedro Saviola)

生年月日    1981年12月11日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    168cm・60kg
ポジション    MF(OH,SH),FW(ST,WG)
ニックネーム   エル・コネホ(ウサギちゃん)
所属      リーベル・プレート(アルゼンチン)~バルセロナ(スペイン)~ASモナコ(モナコ)~セビージャ(スペイン)



抜群のパスセンス、驚異のスピード、突出したドリブル技術、ポジショニングの良さ、決定力と前線のポジションならどこでもこなせるユーティリティ性を兼ね備えた選手。体の大きさよりもテクニックに物を言わせるアルゼンチンの典型的な選手である。


10歳でリーベル・プレートのユースに加入し、98年に弱冠16歳でトップチームに昇格。その小さな体での活躍を疑問視する声が多い中、DFに触れさせもしない技術とスピードで大活躍を見せ、99年には史上2番目の早さで南米年間最優秀選手に輝いた。


更に01年のワールドユース選手権では、7試合11得点で得点王と大会MVPをとり、U-20アルゼンチン代表の優勝に貢献した。


その活躍もあり、01年に数々のビッグクラブのオファーの中からバルセロナを選択し、欧州へ活躍の場を求めたがなかなか大成するに至っていないのは残念な限りである。


ニックネームのEl Conejo(コネホ)というのは、前歯が出ているということでGKのブルゴスによって付けられた。


ちなみに、10歳でリーベル・プレートの下部組織に加入した時に、ユースのコーチがサビオラの父親を見てこれ以上身長が伸びないと分かった上で指導したらしい。


セビージャ 05/06 UEFA用ユニフォームマーキング入りはセビージャ
バルセロナ(H) 05/06 半袖
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エルナン・クレスポ




アルゼンチン 06 ホーム ユニフォーム [CRESPO:9]エルナン・ホルヘ・クレスポ(Hernán Jorge Crespo)

生年月日    1975年7月5日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    184cm・78kg
ポジション    FW(CF)
所属      リバープレート(アルゼンチン)~パルマ(イタリア)~ラツィオ(イタリア)~インテル(イタリア)~チェルシー(イングランド)~ACミラン(イタリア)~チェルシー(イングランド)


バティステゥータからアルゼンチンのエースストライカーの座を奪い取った現アルゼンチンのエース。
スピード、テクニックを兼ね備え、左右両足どちらでも強烈なシュートを放つことができ、高い打点でのヘディング、ポストプレーなどストライカーとしての素質を多く兼ね備えている。


6才の頃からリバープレートの下部組織で育ち、少年の頃はMFとしてプレーしていた。しかし、ダニエル・パサレラがリバープレートの監督に就任するまでは6軍チームの控えに甘んじるなど全く特別な選手ではなかった。パサレラにその才能を見出され、トップチームでプレーができるようになってもレギュラーとして活躍するには至らず、96年のオリンピックで得点王に輝き、欧州に活躍の場を広げてもなかなか結果を残すことができなかった。それでも彼は努力を怠ることなく、ラツィオに在籍した00/01シーズンにセリエA得点王を獲得するまでに成長していったのである。


その後、インテル、チェルシーと移籍をするが期待されていた活躍をするまでには至らず、04/05年レンタルで移籍したミランでようやく本来の姿を見せ本人もミランに残ることを望むも再びチェルシーへと戻らざるを得なくなるなど、なかなか安定した活躍ができないでいる。しかし彼が世界トップクラスのCFであることは疑いようのない事実であり、06年W杯ではその勇姿に期待したいものである。


チェルシー(H) 05/06 半袖マーキング入りはこっち
ACミラン(H) 05/06 半袖
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カルロス・テベス




NIKE 03 ボカJrsホームユニフォームjp#9 TEVEZ(テベス)カルロス・アルベルト・テベス(Carlos Alberto Tevez)

生年月日    1984年2月5日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    171cm・75kg
ポジション    FW(CF,ST),MF(OH)
所属      ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)~コリンチャンス(ブラジル)


マラドーナの再来


サッカー選手としては身長が低いが、がっしりとした体格で当たり負けをすることもなく、ボールキープ力にも優れており決定的なパスも出せる。もちろん自らドリブル突破でゴールネットを揺らすこともできる。


マラドーナ自身もテベスを数少ない己の後継者として認めておりこれから世界のサッカーを引っ張っていく存在になるだろう。


テベスはアルゼンチンでも有数の貧困の地域に生まれ、彼も恵まれない環境の中サッカーに興じていた。97年に憧れのボカ・ジュニアーズの下部組織に入団すると、恐るべきスピードで成長していき、01年にトップチームデビュー。02/03シーズンには南米最高峰のカップ戦、コパ・リベルタドーレス杯でチームを優勝に導く活躍を見せた。そして03年のトヨタカップでは、ワールドユースの代表の座を蹴ってまでも出場し、幼い頃からの夢だったトヨタカップでの勝利を実現させた。


その後ブラジルのコリンチャンスでプレイし、アルゼンチン人ながらブラジルのサッカーファンに認められる活躍を見せている。


ちなみにマンUのエースストライカーであるルート・ファン・ニステルローイは、ボカとの親善試合の後、自らボカの控え室まで行きテベスとユニフォーム交換をしたそうだ。


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コリンチャンス(H) デッドストック ユニフォーム
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リオネル・メッシ




【NIKE】FCバルセロナ 05-06 ホーム半袖 メッシ #19リオネル・アンドレス・メッシ(Lionel Andrés Messi)

生年月日    1987年6月24日
国籍       アルゼンチン
身長・体重    169cm・67kg
ポジション    FW(ST),MF(OH,LSH)
所属      ニューウェルス・オールドボーイズ(アルゼンチン)~バルセロナ(スペイン)


彗星

サッカー選手としては華奢な体つきであるが、華麗なボールタッチとスピード溢れるドリブルで相手に触れることすら許さずにゴールを陥れてしまう。


04/05シーズン第7節のエスパニョール戦でトップチームデビューを果たし、同じシーズンの第34節のアルバセテ戦で華麗なチップインゴールを決め、クラブの最年少得点記録(17歳10ヶ月7日)を更新した。


アルゼンチンで生まれ、子供時代はCAネウェル・オールド・ボーイズに所属。しかし彼は成長障害疾患を患い、その治療費を工面するために13歳の時にバルセロナのテストを受験。当時の監督カルロス・レシャックが思わず「天才」と唸ったというテクニックで見事合格した。ちなみにその時の身長は143cmだった。


バルサに入団後、瞬く間にステップアップ。リザーブリーグでは、1試合平均1得点以上をマークするという驚異的な記録を残した。そしてトップリーグに上がってからも活躍を続け、現在世界最高のクラブだと評されるバルサに欠かせない選手となった。


代表としては、05年にオランダで行われたワールドユースでアルゼンシン代表のエースとして6得点を記録。得点王と大会MVPに輝くと共に母国を5度目の優勝に導いた。A代表にも05年8月のハンガリー戦でデビューを果たし、06年W杯において最も注目されている一人に挙げられている。


バルセロナ(H) 05/06 半袖マーキング入りはこっち
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スペイン代表

スペイン代表

FW:ホセ・アントニオ・レジェスフェルナンド・トーレスフェルナンド・モリエンテスラウル・ゴンサレス
MF:シャビ・アロンソホアキン・サンチェスフランセスク・"セスク"・ファブレガスルイス・ガルシアグティルーベン・バラハ
DF:ミチェル・サルガドセルヒオ・ラモスカルロス・マルチェナカルレス・プジョルデル・オルノ
GK:イケル・カシージャス
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